二十歳の原点 高野悦子
こんにちは、ちぇるです。
突然ですが皆さん『高野悦子』という人物をご存知でしょうか。私は知りません。笑
てことでちょいと調べでみました。
テキトーに調べてみたところ1960年~1970年に激化していた学生運動に参加されていた方だそうです。そして、20歳と6ヶ月という若さで鉄道自殺でこの世を去りました。とても若いですね、僕と同じ歳です。なんだか少し物悲しい感じもしますね、親近感があるだけに。
高野悦子がなぜ自殺したのか、皆さんはわかりますか?
多分誰もわからないと思います。でも確かなのはこの世に絶望していた、ってことです。
なぜそのようなことが言えるかというと本文中の
『何故私は自殺しないのだろうか。権力と戦ったところで、しょせん空しい抵抗に過ぎないのではないか。なぜ生きていくのだろうか。生に対してどんな未練があるというのか。死ねないのだ。どうして!生きることに何の価値があるというのだ。醜い、罪な恥ずべき動物たちがお互いにうごめいているこの世界!なんの未練があるというのだ。愛?愛なんて信じられぬ。男と女の肉体的結合の欲望をいかにもとりつくろった言葉にすぎぬ。私はやはり自殺をしないのだ。わからぬ。死ねぬのかもしれぬ。』
とある。相当悩んでいたんだろうという心情が伺える。
高野悦子は生きるのに悩み、人生に悩み、男関係に悩み、普通の女の子として過ごした。でも僕が感じたのは一般の感性とは違うな、ということだった。孤独と向き合い続け、内省し、世間国家を嘆き、自らの信念のもと学生運動に参加し、明らかに一般ピーポーとは違う感性をもっているな、と感じた。
なんか、書くのめんどくさくなってきたのでここでお開きにしたいと思います、また続き?(あるのかわからんが笑)を書こうと思います。
読んでくれてありがとうございました。
ナンパってサイコーだよなwww
「ナンパってサイコーだよなwww」とナンパしたことないワイがゆうております笑。でも、僕思ったんですけどナンパってまじでサイコーだと思うんですよね。だって好きなときにタイプのひとに話しかけて運が良かったり、都合が合えばごはんやお茶に行けてお話できる。そんな素晴らしいツールなんですよナンパってゆうのは(もう一度言うが私はナンパしたことがありませんw)
そして、ナンパしようと決意しました。でも、後ずさりしちゃう自分もいました。その理由はなんだろうって考えたら怖いんです単純に。断られたくない、否定されたくないってゆう気持ちに気づいたんです。でもやっぱりかわいい子とごはん食べたいし声をかけよう!って決心しても「拒絶されるのを恐れてる自分がいる。でも、そのお陰でこうやって自分の心に住み着いてる闇に向き合うことができた。失敗のなかの成功って感じですかね。
みんなは勇気をもってナンパしてかわいい女の子とお食事したり、デートに発展したりしてほしいですね。ではではさようなら。(なにこのぎこちない文書…みんながなにこのくそ文書っておもってるかもしれないけど自分が一番思っとるんで安心してくださいな。)
あんた何様?
あんた何様?
この言葉にあなたはどんなことを思っただろうか。
イラつき、ムカつき等が多いのではないだろうか。
では、考えてみてほしい、なんでイラついたのかを。
いわゆるそーユーことを気にしない人なら「俺様!」「にゃん様!!」とかひねってボケることができるかもしれない。
でも、これは心に余裕がある人だけ。
逆に心に余裕がなくていつも怯えて自意識過剰になってる人は「は?何様とかお前が何様だよ」とか「まずおまえ誰やねん!」と怒り出すかもしれない。
じゃあ、なぜイラついてしまうのか考えてみてほしい。
私も「あんた何様?」って言われたらたぶん切れる(笑)
きっと責められたって思うんだろう。
責められたから責め返すみたいな構造だろう。怒りってゆうのは本当の自分を気づかせてくれるツール。
みんなも怒ってしまった時には自分を省みるチャンスだと思ってほしい。
では、また今度。